2013.5.19(日) 
橿原から吉野山へ
行程:久米寺~土佐街道~壺坂峠~壺阪寺~六田~吉野川~左曽川~脳天神社~蔵王堂 
集合場所まで=540円 生駒駅
準急
西大寺駅
急行
橿原神宮前駅
8:06 8:18-8:21 8:51
9:00
今日の天気予報では午後から雨!
橿原神宮前駅に集ったメンバーは会員16名、非会員11名とのこと。
桜井リーダーのコース説明に続き、スタート。
9:19









 すぐ、久米寺に着く。

小休止。

この感じで休憩があれば・・・、と願うも・・・

そんなことはあり得ない。
以後、休みなんか望めない。

久米寺 

久米寺

久米仙人のユーモラスな伝説では、神通力を得て空中を飛びまわっていた仙人は、
ある日、川で美しい女性が洗濯しているところに遭遇し、
その女性のふくらはぎに目がくらみ神通力を失い墜落したという話。
有名だね。
9:37




 久米寺を通り抜けて少し歩けば宣化せんか天皇陵。

「何代目の天皇?」と尋ねられるも即答できない。
指折り数えて「28代目」と答える。

専門家は「この陵が本当に宣化天皇陵?」と疑っている。

宣化天皇陵 
9:48




10:35



 宣化天皇陵からすぐ、新沢千塚にいざわせんづか古墳群に差し掛かりいくつもの古墳を通り過ぎる。

その後、乾城かんじょ古墳~マルコ山古墳がある。

千塚古墳群 

乾城古墳の一つ。石室内部

新沢千塚に古墳が造られ始めたのは4世紀の終わり頃、今から1600年ほど前。
5世紀後半から6世紀前半にかけての100年間、最も多く古墳が造られ500基以上ある。
126号墳は遠くペルシャや中国、朝鮮半島からもたらされた副葬品が発見され、歴史的に大きな成果あった。
 11:20  
マルコ山古墳を過ぎしばらくすると高取町の土佐街道に入る。
高取町は薬の町としても有名だ。

土佐街道:大和朝廷の都造りの労役に土佐の高知から駆出され、
その後の政変で故郷へ帰れなくなった人が住み着いた町が土佐町でその街道が土佐街道なのです。
 
土佐街道を進む
 
地面にはいろんな薬草の説明
 
工事中の石川医院

高取町はずれの公園で昼食。
 12:00 午後の部、スタート。 
 12:10

 お里・沢市の墓。

今より三百年以上昔、座頭の沢市は三つ違いの女房お里と貧しいながらも仲睦まじく暮らしていた。沢市は盲目ゆえ琴三味線を教え、お里は内職というなんともつつましい暮らしであった。

そんな沢市の胸中に一つ不安が生まれていた。というのも明けの七つ(午前四時)になると、お里が毎晩床を抜け出していたからだ。

「もしや好きな男が…」と問いただすと、お里は沢市の目の病が治るよう、この三年もの間欠かさず壷阪寺の観音様に朝詣でをしていると訴える。

疑った自分を恥じる沢市はともに観音様にお参りすることにしたが、心の中は盲目がゆえに不遇な暮らしをしているのだと自分を責める。そして、一度お里を家に帰して、お里を自由な身にしてやろうと自分の身を投げてしまうのであった。
不吉な予感であわてて戻るお里は、非常な現実に遭遇し、自らも身を投げてしまう。

しかし、二人のせつない夫婦愛が、観音様の霊験により奇跡が起こり、沢市・お里は助かり、沢市の目が開眼した。本堂横手には、そのお里、沢市が身を投げた、投身の谷と言い伝えられている谷がある。


お里・沢市の墓
 12:20
 高取町の市街地を過ぎ、お里沢市の墓を過ぎるといよいよ壷坂寺への参道だ。

急坂の参道

参道脇には何体もお地蔵さん 
 12:44
 時間的には20~30分の短さなるも登り歩いているときの苦しさ! 心臓パクパク!。
天気予報どおり雨が降り始めた。

壷坂寺 

観音像

ようやく壷坂寺にたどり着いたと思うも、休憩なんてありゃしない。死ぬ~~~。
 13:15




 安産の滝。

昔はこの滝水にうたれると安産をするという言い伝えを素朴に信じてうたれていたと。

安産の滝 

役行者像
13:23



 安産の滝のすぐ隣に蔵王寺。

ここの湧き水はおいしかったね。
今までの苦しかったこと、少しだけ忘れさせてくれた。

蔵王寺 
13:56


 世尊寺。

聖徳太子が建立したという。
 
世尊寺
14:29






 世尊寺から吉野川に向けて坂を下ると、柳の渡し。

T氏、膝の調子が悪いとここでリタイヤ。


古代、橋もなく流れのままにあるところでは、静かな川の淀みに舟を浮かべて渡りました。
それが渡し場として栄え、吉野川には、六つの渡し場があったと言われています。
 
柳の渡し場
 15:25

 柳の渡し場から吉野川を渡ると、また登り坂になり脳天大神へ向かう。
途上何箇所かのカーブごとに交通整理のおじさんが立っている。
奈良ナンバーは勿論、大阪・石川・名古屋等他県ナンバーの車がひっきりなしに行き交う。
1時間も苦しむ。

脳天大神へ3.2Km

途中、シャガの花

脳天大神

脳天大神では般若心経を唱える信者あり。 
ここで参拝、小休止。 ほっと息をつく。
 13:29
 小休止の後、脳天さんの横の鳥居をくぐり強烈な石段を登り始める。
後のことだが、誰かが「460段ほどあった」と言っていた。

ここから登りはじめる 
 
延々と続く急階段
 
役行者像
 15:43




 吉野朝宮跡。

 南朝57年間・4代の天皇(後醍醐天皇・後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇)が
政権回復の策をはかったところです。
 
 
 15:50






 吉野朝宮跡から最後の石段を50段ほど登ると、ようやく金峯山寺蔵王堂だ。

この最後の階段で会長が足を引きつり苦しむ。「あいたた~~」と。

正面から蔵王堂へ参ったのは何度かあるも、今回の裏手から登って来たのは初めてだ。

 
蔵王堂
 15:43






 仁王門を後にする。

県文化財指定の仁王像です。
昭和25年(1950)の解体修理の際に発見された胎内墨書銘から延元元年(1338)の建立と判明しました。


吽像

阿像
 16:00



 ゴール、近鉄吉野駅着。

雨のため毎回やっている反省会はナシだという。
一人缶ビールで自分を褒めてやる「よく頑張りました」と。
 
ゴール、吉野駅
 16:07 帰りの電車に乗る。  
18:00 自宅着。
   本日の歩数:約 46,329 歩。


 

今朝の朝日新聞朝刊の記事⇒

ご参考までに・・・