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B例会:27Km///参加人数:35名(内女性5名) |
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コース:牧~明智戻り岩~穴太寺(あなおじ)~湯の花温泉~谷性寺(こくしょうじ)~二十一尊磨崖仏~JR・千代川駅 | |||||||||||||||||||||
朝夕はずいぶん涼しくなってきた。が、昼間はまだまだ暑いだろうなあと思いつつ且つ、 おっ家内が「この暑いのにまたお出かけ?」とのお言葉にもめげずに朝4時半に起きて、本日のウォークに参加。 |
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6:30 | 自宅をスタート。 | ||||||||||||||||||||
8:10 | 池田駅着。 すでに数人のメンバーが集まっている。古谷氏のところで受付を済ませる。 椅子に腰掛けていると「コーヒーはいかが?」との女性あり。北口氏が「田中かよちゃんという人だ」と教えてくれた。 今日は参加しないのにみんなにサービスとのこと。ありがたや、アリガタヤ。 |
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9:10 | 牧行きのバスに乗車。 池田駅に着いてから1時間の待ち時間。 その間、遠慮なく物のいえる人は電車の到着時間・バスの出発時間を調べて集合時間を設定しろとか運営のまずさを指摘していた。 世話役も大変だ。 大江さんが今日のコース説明で「1時間5Kmのスピードで歩くように」と何度も強調している。 |
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9:55 | バス停「牧」着。バス賃=630円。 山田氏の体操を終えいよいよウォーク開始。
バス停では朝市が開かれていた。野菜が安く売られている。 歩き始めるとすぐに京都府亀岡市。 |
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10:50 | 犬甘野営農組合。 売店の人に「なんて読むの?」と聞いたら「イヌカンノです」とのこと。 ここまではまあまあ暑くない。が、アスファルトの自動車道でこれからの照り返しが思いやられる。 |
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11:25 | 丹波から大阪方面へ向かう法貴峠の傍らにあるお経の書かれた巨岩「明智戻り岩」がある。 ここだけが自動車道の脇の木陰道。気持ちよく歩ける。 光秀はこの岩の前で引き返し、信長の滞在していた本能寺へ向かった。この近くには明智橋という橋もかかっている。
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11:40 | 国狭槌神社。 小休止。神社の手洗い水が湧き水で冷たくておいしい。
ここからまたアスファルト道が・・・。途中、農家の若奥さんが「手を洗って行ってください、井戸水ですよ」とお接待。 お話がしたかったけれどみんなはドンドン先を行くので残念ながら「ありがとう」だけ言って皆の後を追いかける。 |
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12:25 | 穴太寺(あなおじ)。 この穴太寺にまつわるお話二題: 「むかし昔、この寺の近くに宇治宮成という乱暴な信心のない男が住んでいた。 妻は夫に反して大変信心深い女の人でありました。 あるとき京都から感世という仏師を招き、高さ1mほどの聖観音像を刻んでもらいました。 妻はその礼に夫に頼んで葦毛の馬を与えました。 喜んだ感世は馬に乗って京に帰えりますが、宮成は馬が惜しくなったので、帰り道を待ち伏せて感世めがけて白羽の矢を放った。 感世は死に、宮成は何食わぬ顔で馬を連れて家に帰えりました。 ところが感世の作った観音様を見ると、その胸には矢が刺さり、血を流し、苦痛をこらえて涙ぐまれていました。 慌てて今の馬を見に行くと、馬の姿はない。 京の感世のところに行くと、途中で盗賊に会ったが観音様のおかげで無事に帰れた、という。 観音様が身代わりになられたことを悟ると同時に自分を悔い、宮成は仏門に入り、後にこの観音様を御本尊に穴太寺を建立したという。 33年に1度御開帳されるこの観音様は左胸に矢傷が残るという。」身代わり観音。 「またこの寺にはあの「安寿と厨子王」の安寿姫の肌守りの観音様が残る。 山椒太勇に捕まり奴隷生活を送るが、山椒太勇に焼け火箸で額を焼かれても、傷口に仏像を当てると火傷が治り、仏像に傷が残る。 安寿は厨子王を逃がすが、かくまったのが穴太寺だった。 厨子王は後にこの観音様を穴太寺に奉納した。5cm足らずの小さな仏様らしい。」という身代わり観音。
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12:35 | 総合運動公園。 穴太寺では休憩なしで運動公園まで足を延ばしての昼食休憩45分。 食後小松氏が「もらいものだ」といって杏のような果物をくれた。おいしかった。 また、来年の行事予定表をくれて、「コースリーダーをやってくれ」と言われたが、 「申し訳ありませんが、写真を撮るとか個人行動が取りたいので・・・」とお断りする。 世話役の方の大変なご苦労はお察しします。 昼食後、下村氏・小松氏・八田氏は穴太寺までバックしてバスで帰ることになった。 |
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運動公園を出発してしばらく歩くと湯の花温泉街を通る。 一時は賑やかだったろうが今はずいぶん寂れている。差し押さえの張り紙が貼られている旅館もある。 「温泉スタンド」のカンバンがあり、自由に温泉水をもらえるようだ。
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この温泉には「桜石鬼伝説」がある。 昔むかし稗田野の山々を根城に,多くの鬼が住んでいた。 たまたま村を通りかかった高徳な行者が,ただならぬ妖気を感じ, これを祓うために,どこを切っても桜の花に似た模様が出てくる「桜石」と名づけられた神秘的な小石を妖気の方向に投げると, 山が真二つに割れ,その深い穴に鬼が呑み込まれていった。 その後,山のふもとから,鬼の涙が温泉となって湧き出て,それに身を浸すと,あらゆる怪我や病がたちどころに快癒した。 この温泉こそが,湯の花温泉の元祖である。
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14:00 | 湯の花温泉バス停。 ペットボトルのお茶を一本飲んでしまったので補充する。 |
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14:30 | 谷性寺。 境内には明智光秀の首塚がある。 これは織田信長を討った後、山崎の合戦で敗れ山科で討たれた際、近臣が首を生前信仰していたこの寺に葬ったとされる。 歴史上では逆臣のように言われているが地元ではその善政をしのんで、 明智家の家紋である「桔梗」が植えられ、夏には紫のキキョウが境内に咲き誇る。 それが元で、いつしかこの寺は別名で「光秀寺」「桔梗寺」とも言われるようになる。
ここで鈴木さんがゼリーをくれた。冷たくておいしい。 歩いていると、北口氏が「バツグン バツグン」といろいろ自慢する。 「食後の後片付け、バツグンやで」「部屋の掃除、バツグンやで」「洗濯物の取り入れ、バツグンやで・・・」要するに愛妻家なのだ。 |
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15:15 | 15時過ぎからポツポツと雨が当たるようになってきた。 宝林寺辺りで傘を出す。
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15:20 | ドシャ降りになってきた。 たまたま「神前ふれあいサロン」という建物があり、ここで雨宿り。 |
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16:10 | まだ止まない。千代川駅を17時前の電車に乗ると聞いていたので、皆に断って一人雨の中をスタートする。 しばらくすると、後続部隊も付いてきて追い越していく。 |
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16:30 | ようやく止んだ。1時間強、よく降った。ウォーカーにとっては辛かったが久しぶりの雨で草木は喜んだだろう。 雨が止んでしばらくすると鈴木さんが走ってきて北口氏とオイラに「見て、見て」と指をさす。 歩いている正面に大きな大きな虹。北口氏とオイラは馬鹿話に夢中で虹に気がつかなかった。 鈴木さんありがとう。とってもロマンチックを感じます。 |
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16:50 ~6:55 |
千代川駅着。 電車が来た。数人は乗ったが、その他の人はあとのメンバーをビールを飲みながら待つという。 ビールのないワタシはお先に失礼。 |
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19:00 | 自宅帰着。 本日の思い出・・・暑かった。ドシャ降りだった。 |
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本日の総歩行数:約 38,000歩。総歩行距離:約 30Km。
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