コース:伏見稲荷→稲荷山→泉湧寺→清水山→将軍塚→日向大神宮→大文字山→哲学の道→京阪四条駅 |
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先週までポカポカと暖かかったのが急に寒波が来て日本中荒れている。 気温も最高13℃までしか上がらないとの予報。 京阪丹波橋駅で桜井氏らしき人を見かけた。ところが彼は伏見稲荷では降車していない。 ?と思っているとJR伏見駅で反対の方から歩いてきた。 「どこから来た?」と彼に尋ねると、「深草から歩いてきた」との答え。 同じ電車に乗っていたが、彼は一駅手前の深草駅で降り、ワタシは伏見稲荷駅で降りた。 この違いはなにか?丹波橋駅から深草駅は150円、伏見稲荷駅は200円。距離は変わらない、50円損した~~。 |
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9:00 | 大上戸氏のコース説明の後、スタート。 神社の裏手からすぐに千本鳥居。よくもまあ、これだけ奉納する人がいたもんだ。
いわゆる「おいなりさん」は全国に3万社はあるという。 |
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9:25 | 稲荷山(283m)の中腹「四辻」まで一気に登りつめる。 厳しい坂、石段を皆はとっとこ進む。 |
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9:43 | 稲荷山から下り泉湧寺。 この寺は皇室にゆかりがあり、「御寺」とも称す。寺の裏には後堀川天皇、四条天皇等多くの天皇が祀られている。
御寺から少し北へ進むと、西国三十三ヶ所の今熊野観音寺。今日はここには入らない。
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10:25 | 今熊野観音寺から国道1号線に出る。 ここでは警察が車のスピード違反を取り締まっていた。
途中、おどりこ草を上垣氏が摘んで食べている。 山菜のテンプラの話しをしていると久保さんが「上垣さんはイタドリの料理が上手だ」と教えてくれた。
国道から清水山(242m)に向けて六条天皇陵・高倉天皇陵の標石を右手に見て、また急坂。 |
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10:45 | 清水山(242m)。
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11:00 | 清水山からとろとろ~と下り、東山山頂広場でトイレ休憩。
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11:10 | 休憩を終えスタートするとすぐに将軍塚のある青蓮院門跡。 将軍塚:桓武天皇は都を奈良から京都の南方、長岡に移されましたが、いろいろと事故が続きました。 この時、和気清麻呂は天皇をこの山上にお誘いし、京都盆地を見下ろしながら、都の場所にふさわしい旨進言しました。 天皇はその勧めに従って延暦十三年(794年)、平安建都に着手されました。 天皇は、都の鎮護のために、高さ2.5メートル程の将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、 太刀を帯させ、塚に埋めるよう命じられました。 これが、この地を「将軍塚」と呼ぶ由来です。
天台宗の総本山比叡山延暦寺の三門跡寺院:青蓮院、三千院、妙法院。 |
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11:45 | 都ホテルを右手に見、インクラインを後ろにして地下鉄蹴上駅の地下道をくぐると日向大神宮に到着する。
小雨の降る中、雨の当たらない木の下を探して昼食。 上垣氏が先ほど話していた「イタドリ」の胡麻和えを出してくれた。 シャキッとして上手に作ってある。「ワタシが作るとふにゃーとなるんですが・・・」と言うと、 「それは酸を抜くのが間違っている。 かわを剥いてしばらく水に浸しておくとよい」と上垣氏が教えてくれた。 |
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12:22 | 昼食後、開運厄除けの天の岩戸くぐりをくぐり抜けて
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12:33 | 七福思案処。
さあ、またここから長い長い上り坂。 上垣氏とワタシが皆から遅れる。 |
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13:20 | 大文字山四辻。 苦しかったああ~あ~。 あとは下りで霊鑑寺~哲学の道~平安神宮~白川~ゴールの京阪四条駅。
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15:10 ~ 15:40 |
四条駅そばの公園で反省会。加藤氏が「18名だよ」と人数を教えてくれる。 あまりにも疲れて反省会の食料の購入を藤原氏に頼み、ワタクシはその間も休憩。 反省会始まっても寒いため、そこそこに終了! |
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本日のドアtoドアの歩数:38,418歩。
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