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浪速例会:14km// 参加者:71名 |
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9:52 | 阪急宝塚駅に着くともう、大勢の参加者が集まっていた。 あとで聞いたことだが、なんと参加者は71名!!2月の大阪城観梅ウオーク以来の大盛況。 |
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10:00 | 今回のリーダー大上戸氏のコース説明を受けて、さあ、スタート。 駅から「花の道」を歩くと、宝塚大劇場。 劇場前には大勢のおっかけさんが団員さん?のご出勤を待ち受けている。
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10:15 | 手塚治虫記念館。 このあたり、老若男女みんなが道路の清掃ボランティア。
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10:45 | 旧和田家住宅。 和田家は、江戸時代に萩園村の村役人を務めた家柄です。
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10:55 | 小浜宿資料館。 ここは「オバマ」じゃなく、「こはま」。 小浜は、明応年間(1492-1500)に真宗寺院・毫摂寺の寺内町として成立したところで、 自然の要害としての地形を利用した近畿一円の真宗寺院と立地を共有している。 戦国時代の終わり頃には、豊臣秀吉や秀継が有馬入湯の折り、立ち寄ったという伝承もあり、 その際、名水「玉の井」から汲んだ水で千利休に茶をたてさせ、喫茶を楽しんだという口伝も残っている。 その後、江戸時代には、小浜が交通の要衝であるところから、幕府の庇護を受け栄え、 宿場町「小浜宿」として、旅籠・脇本陣・木賃宿や、商家・馬借・芝居小屋などが軒を連ね、大変な賑わいを見せていた。 また、酒造りの技術を持った場所であり、井原西鶴の『日本永代蔵』にもこの酒造流儀が「小浜流」として紹介されている。 さらに、小浜は腕の良い大工や左官のたくさんいた町として知られ、大工組「小浜組」を結成したり、 難波御堂別院の建築や、京都御所の蛤御門の修理などで活躍した大工の棟梁等がいた。 この小浜宿一帯には当時の町家や首地蔵、小浜出身の力士谷風岩五郎の墓などが残されている。 平成6年には、この小浜に宝塚市立小浜宿資料館が設置され、 小浜地域の歴史や民族資料を保存し、紹介する施設となっている。 |
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11:35 ~ 12:15 |
小浜から中国高速道をくぐり、高速道に並行するように進むと、昼食場所の「荒牧バラ園」。 世界のバラ約250種1万本が広さ1.7ヘクタールの南欧風のおしゃれな園内一帯に咲き乱れます。 伊丹生まれで世界的に名高い「天津乙女(あまつおとめ)」「マダム・ヴィオレ」などの「ふるさとのバラコーナー」、 姉妹都市にちなんだ「ハッセルトコーナー」などの各コーナーがあります。
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13:10 | 午後は天神川沿いに進むと昆陽池。 「池の真ん中には日本列島をかたどった島がある」と会長が教えてくれた。
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13:40 | 端が池。
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14:10 | 猪名野神社。 | ||||||||||||||||||
14:25 | 伊丹駅ゴール。 金券ショップでJR大阪駅までのチケットを久保ちゃんに教えてもらって購入。230円のところ180円。 |
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14:50 ~ 15:30 |
駅そばの有岡城址で反省会。 | ||||||||||||||||||
17:00 ~ 18:45 |
生駒駅で豊岡氏と第2次反省会。 話題は お遍路・囲碁・パソコン等々。 |
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本日のドアtoドアの歩数:約 37,852歩。 |