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能登半島3人ウオーク | |||||||||
2014/4/13 から3人で歩いた能登半島の記録、大チョンボでホームページから抹消してしまった。 写真だけかろうじて残っていたので思い出しながら少しづつアップしていく。
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1日目=2014/4/13(日) | |||||||||
9:42 |
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12:17 |
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13:35 |
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16:00 | ホテル ルートイン着。 ホテルは温泉。 ベッドはシングルルームなのにダブルベッドでとてもいい感じ。
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18:10 ~ 19:18 |
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<本日の歩行数: 15,670 歩> | |||||||||
2日目=2014/4/14(月) | |||||||||
7:40 | 2日目のスタートは朝市通りを見て、市街地を抜ける。
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市街地を抜けると
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千枚田、外人の観光バスも来ていたよ。 3月2日まで夜はライトアップしていたが、田植えが始まり取り払ったと。
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11:59 |
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12:10 | 名舟港ではT氏が近所の出上さんと仲良しに・・・
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13:13 | 塩の駅に着く。
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奇岩を見ながら海岸を進む。
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15:13 |
上の疑問が2014.9.19 朝日新聞夕刊で解消した。 1956年に悲恋の映画「忘却の花びら」の舞台になり、 主人公(小泉博)とヒロイン(司洋子)がこのトンネルで抱き合ったので「せっぷん」の名が付いたのだ。 当時2軒だった宿泊施設は40軒に増えた。 海岸の国道は曽々木で行き止まりだったから、 観光客はバスを降りて「せっぷんとんねる」をくぐり、400m先の珠洲市側まで散策した。 観光客はいま、最盛期の10分の1。通年営業する民宿は4軒に減った。・・・と。
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15:27 |
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18:12 | 夕食を食べているとお上さんが“夕日がきれいですよ”と教えてくれる。 食事中なるも海辺へ行くとこれからまさに沈もうという夕日。 この宿はこの夕日を見るための観覧席まで設けてある。
食事は豪華だったね。 サシミにはスズキ・サヨリ・カワダイ・マグロ・タコ・イカ・カレイ・タイ等々。 アンコウのから揚げ、鮟鱇鍋もうまかった。 |
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<本日の歩行数: 35,677 歩> | |||||||||
3日目=2014/4/15(火) | |||||||||
6:48 | 朝、散歩するとトンネルの山から滝が落ちている。 垂水の滝という。 朝食もまた豪華! エイの煮物がうまかったよ。
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海岸をただただ歩く。
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9:14 | 海岸を歩いていると農家のおばさんがウドを採っていた。 | ![]() ウド |
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9:30 | 3人、いい加減疲れて腰を下ろして休んでいるところへ昨日のひげ親父。 彼のブログは⇒http://www.geocities.jp/shonannoby/ |
![]() ひげ親父 |
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![]() 10:20 |
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10:42 | 平家伝説のからす川。
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10:50 | ![]() |
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11:00 | 大崎島を眺めながら登り坂を進んで行く。 ツバキの里辺りには名前の通りツバキの木が多い。 空にはヘリコプター、朝鮮からの密入国を監視しているのか? 海岸には警察の車も止まっていたよ。
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13:14 | 今日一番の難所、急坂をあえぎあえぎ登ると前方に変な岩。
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「奥能登絶景海道」を進む。 海岸沿いの民家は潮避けにきれいな垣根が作られている。
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ここから禄剛先灯台へ進む。 この坂も厳しい。
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15:40 | 禄剛崎灯台に着いた。
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16:00 | 灯台から下ると狼煙の町。 そしてすぐ近くに今日のお宿、漁師の家。
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<本日の歩行数: 44,369 歩> | |||||||||
4日目=2014/4/16(水) | |||||||||
7:45 |
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8:20 | 山道を進んでいると「ランプの宿」の看板が目に付いた。 T氏が「いつかテレビで見たことがある」と言うので是非見てみようと道をそれて行く事にする。
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9:40 | かなりしんどいのでショートカットの道を単独進むことにした。
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11:32 |
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12:42 |
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12:42 ~ 15:03 |
海辺を見ながら進む。
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15:29 | 見附島の目の前にある国民宿舎「のとじ」着。
公園を散策してから宿に入ると既にT氏は着いていた。 |
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17:13 |
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<本日の歩行数: 39,372 歩> | |||||||||
5日目=2014/4/17(木) | |||||||||
7:54 |
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8:33 |
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8:36 ~ 8:45 |
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10:44 ~ |
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14:15 |
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<本日の歩行数: 33,834 歩> | |||||||||
6日目=2014/4/18(金) | |||||||||
7:40 | お宿をスタート。 海岸線をエンエンと歩く。
道路に「第6代横綱 阿武松禄之助碑」と標識が・・・ この土地は相撲取りが多いのかな? 今相撲界を賑わしている「遠藤」もこのあたりの出身だ。 |
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10:50 | 能登町鵜川の町中に入ると散歩中のおばあさんが話しかけてきた。 「ここは久田船長の出たとこだ」と・・・。 久田船長:東海丸は絶えず汽笛を鳴らしながら進行していたが、 29日午前4時30分ごろ突然ロシアの貨物船「プログレス号」が右手に現れ衝突された。 久田船長は、吹雪、轟音、絶叫の中で乗組員を指揮し、乗客・乗員すべてを5艘のボートに乗せた。 「皆よくやって助かってくれ」と叫びながら自分の体を欄干に結びつけ、非常汽笛を鳴らしながら船とともに海に沈んだ。 久田船長がボートに移ることは簡単だった。しかし一人でも多く助かるためには、 行き過ぎたプログレス号や陸上からの救援を受けるしかない。 船長はその唯一の手段として、非常汽笛を鳴らし続けることを決断したのだ。 結果、乗員乗客104人のうち過半数が助かった。 韓国でつい最近客船の沈没事故があり、船長が逃げたというニュースがあったときだけに余計に地元の人は鼻が高いのだろう。
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また、海岸沿いをエンエンと歩く。 シンドイなあと思っているとバス停があった。 T氏に断り、一人バスに乗る。
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14:10 | バスは穴水駅に着いた。 駅の中には遠藤関の姿が・・・
穴水駅から今日の宿舎「キャッスル真名井」への途中、町中を走る川では漁師のおばさんがシラウオを量り売りしていた。 地の料理屋の人が買いに来ていた。 「今年は(獲れるのが)少ないね」と話していた。 |
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15:20 | 国民宿舎「キャッスル真名井」着。
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<本日の歩行数: 39,425 歩> | |||||||||
7日目=2014/4/19(土) | |||||||||
8:10 | キャッスル真名井スタート。 | ||||||||
8:45 |
途中の能登鹿島駅では大勢のカメラマンがカメラを構えている。 桜を撮っているのかな?と思ったらそうではなかった。 テレビで賑わしているらしいアニメが車輌に描かれていてそれを撮るためだった。
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9:21 |
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予定には入れてなかったが折角だから能登島に踏み跡を残そうと能登島へ歩く。
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13:00 | 和倉温泉駅発サンダーバードで帰途に着く。 | ||||||||
<本日の歩行数: 23,055 歩> |