2014.5.11(日)
比叡山へ登ろう 22Km 【レベル A】 【参加者 43名】
コース:叡電修学院駅~赤山禅院~ケーブル比叡~大比叡~ケーブル延暦寺~弁天堂~瓜生山~狸谷山不動院~京阪出町柳駅
電車代=1,130円   生駒駅
快速 
西大寺駅
普通
丹波橋駅 
特急 
 出町柳駅
比叡山行き 
 修学院駅
7:40 7:48 7:52 8:24  8:32 8:46 8:52  8:59
620円      300円   210円  
9:00
 今日のリーダーは岡田氏。

我軟弱者の年寄りから見れば猛烈な健脚者。

ついていけるか不安なれど、まずは勇気を振り絞っての参加。

コース説明
9:29
 赤山禅院。


赤山禅院は、京都市左京区修学院にある天台宗の寺院。延暦寺の別院の一つ。

本尊は泰山府君。
京都御所から見て表鬼門の方角に当たるため、方除けの神として、
古来信仰を集めた。

拝殿の屋根の上には、御所の東北角・猿ヶ辻の猿と対応して、
御幣と鈴を持った猿が安置されている。

赤山禅院
9:35
 梅谷登山口から山道に入る。

みなさん、すごい速度で歩いて行く。
ワタシは既に青息吐息。

梅谷登り口

山道を行く
10:10
 水飲対陣之碑。


ここに写真の警備員がいた。
「何をしているのですか?」と尋ねたら
「修学院離宮への侵入者を警備している」との事。


「水飲」とは地名のことで、
ここで千草忠顕が足利直義軍と戦い対陣した。

 水飲対陣之碑 

修学院離宮の警備員
10:33
 コースは「京都一周トレイル」となっており、所々に標柱が立っている。

10:43
 ヤマツツジもきれいだね。

ヤマツツジ
10:50
 千種忠顕卿戦死の碑。


千種忠顕(?~1336)は、後醍醐天皇(1288~1339)の信任厚く、
建武政権では従三位参議、三カ国の国司に補任された。

足利尊氏(1305~58)の攻略により政権が瓦解すると、
忠顕は足利直義(1306~52)軍と比叡山麓西坂本水飲で戦った。
この石標は延元元(1336)年6月7日、千種忠顕が戦死した地を示すものである。

千種忠顕卿戦死の碑
11:08
 ケーブル比叡駅前まで来ると、お地蔵さんがあった。
見ると「やどり地蔵」とある。

「やどり地蔵」が作られたのは鎌倉時代と言われている。
「やどり地蔵」の名前の由来は願を掛けると子供が宿るということから
宿る地蔵が「やどり地蔵」となったと言い伝えられている。


やどり地蔵 
11:10
 ケーブル比叡駅。

ケーブル比叡駅
 11:38
 比叡駅の横手からつつじヶ丘を左に見て進んでいくと、
目を見張るばかりのシャクナゲ!

 シャクナゲ
 11:40
 頂上に近づいてくると新緑もまたきれい!

新緑
11:45

12:10
 大比叡山頂で昼食。

三角点 (大津市)

大比叡

比叡山とは、滋賀県大津市西部と京都府京都市北東部にまたがる山。
大津市と京都市左京区の県境に位置する大比叡(848.3m)と
左京区に位置する四明岳(838)の二峰から成る双耳峰の総称である。

大比叡の一等三角点は大津市に所在する。
高野山と並び古くより信仰対象の山とされ、延暦寺や日吉大社があり繁栄した。
12:50
 午後は下り道が殆どで歩きやすい。

延暦寺駅。

無動寺参道 
 
延暦寺駅

延暦寺は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。
平安時代初期の僧・最澄により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。
13:02
 弁天堂。

回峰行の根本道場になっている。

弁天堂

大弁財天女

この頃からJ第さんが話しかけてくれた。
彼女、生駒市西松ヶ丘が親元だそうな。生駒のことが詳しかった。ワタシの長男と同い年だった。
ワタシのホームページの壁紙を「かわいいね」と褒めてくれた。 
簡単な絵だけど苦労して書いたものだけに嬉しかったね。

午後は下りばかりだろうと思い込んでいたらなんのなんの! 

13:06 登りはまだまだ続く

13:40

14:57
15:00
 瓜生山(301m)に着いた。

細川高国が初めてこの城に陣を構え、その際戦勝を記念して将軍地蔵を勧請したのが城名の由来となった。
将軍山城は瓜生山の山頂を本丸とし、近江より上洛する際の前線基地としての役割をもっていた。

勝軍地蔵社 

山頂

瓜生山からの下りは狸谷山不動院まで「三十六童子巡り」となっている。

三十六童子の名を唱えれば悪霊は退散し、崇拝する者を背後から守護して、長寿をもたらすと言われているそうな。

ちょうしょうこう童子 

こんがら童子
15:16
 狸谷山不動院に着いた。

清水の舞台のような柱が支えている大きな建物。

不動院 
15:22
 不動院から参道入り口に着いたら、阪神タイガースの優勝記念碑。
監督吉田義男の名前があった。

 阪神タイガースの優勝記念碑
15:30
 参道入り口から少し下ると「八大神社」。

八大神社の境内地である一乗寺下り松(さがりまつ)にて、慶長九年(1604年)、
剣聖宮本武蔵が吉岡一門と決闘したと伝えられています。


武蔵は決闘に際しここ八大神社に参拝したとき、必勝を頼まなかった。
神を敬いはすれど頼りにはしない。己の力を信ずるのみ・・・と

と、M木氏が教えてくれた。

八大神社

宮本武蔵像

境内に 中村錦之介 

お通・・・入江若菜

15:34
 詩仙堂を横目に

詩仙堂
15:37
 一条下り松宮本武蔵・吉岡一門決闘の地。


ようやく山から降りきった「やれやれ」とゴールまでを地図で確認すると、
この先まだまだ。
平地と言えど、もう足は棒!

決闘の地 
16:06
加茂川に辿りついた、と思ったらその上流でここは高野川だという。

出町柳のあたりで合流して加茂川になるそうな。

高野川堤 

魚とり
16:20

17:15

出町柳駅のそばのコンビニでアルコールを仕入れ、加茂川に降りて「ハンセー」15名。

今日は長男が帰郷してくれたため反省会はこの「一次会」のみ。
   本日のドアtoドアの歩数:約 40,636 歩。